再審

足利事件の菅家さんの再審が本日より始まります。
この再審に先立って、菅家さんが「被告人とは呼ばせない」との発言が報道されました。
今回は検察が過去の捜査の誤りを認めて無罪を裁判所に求めているため、当然な発言だと思います。
 
この菅家さんの発言を聞いたときに、直ぐに「昭和の岩窟王」と言われた「吉田石松」さんの判決文を思い出しました。
 
吉田石松さんは1913年8月に愛知県でおきた殺人事件の3人目の犯人として逮捕され、一貫して無実を訴え続けましたが聞き入れられず、死刑→無期懲役が確定しました。
21年服役後、1935年仮釈放されてから独学で文字を習い、自分を仲間だと証言した犯人2人から「わび状」を書いてもらい、再審請求を4回繰り返しながらも、裁判所からは受付でもらえず、仮釈放の犯人としての生活を続けていました。
何回目かの再審請求棄却後、法務省前で「お願いします」と泣き叫んでいる吉田さんを発見したA弁護士(当時は法務省職員)が「おじいさん、どうしたのだい」と声を掛け、話しを聞きました。
 
吉田さんの話を聞いた弁護士は、吉田さんは犯人ではない、これは冤罪だと直感し、吉田さんの再審請求を支援する意思を持って、日本弁護士連合会人権擁護部へ案内しました。
それからも再審にたどり着くまでには大変な時間がかかり、吉田さんの再審を開始したのは1961年でした。
 
1963年2月に名古屋高等裁判所の再審での判決は吉田さんの無実を確認し、無罪判決を決定しました。このとき吉田石松さんは83歳でした。
この判決文の最後にの部分に
「ちなみに当裁判所は被告人、否ここでは被告人というに忍びず吉田翁と呼ぼう。われわれの先輩が翁におかした過誤をひたすらに陳謝する」との言葉がありました。
更に最後の言葉は「吉田さんのこれからの人生の幸せを祈る」との内容が加えられていました。
 
法律論では色々な意見がありますが、人の心を大切にした素晴らしい判決文だと、46年経った今でも心に残っています。
 
吉田石松さんは1963年12月亡くなりました。
84歳の生涯の殆どを冤罪の故の犯人として過ごし、それに憤り、無実の罪を証明するために費やした人生でした。
大切な人の一生を、このようなことにしないためにも、再審制度は訴えている人のことを考える裁判であってほしいと思います。
吉田さんは、最後に周りの人に「ありがとう」との言葉を残して永眠したと翌日の記事に掲載されていました。
広告

りょうちゃん について

"これまでのものを大切にしつつ、新しいものに挑戦"  、 空を飛ぶこと 海に潜ることが大好きです。
カテゴリー: 随想 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中