身近に

結婚式・各種セミナーで利用する機会のある場所の一つに明治記念館があります。
元御所であった地を活かした大きな庭園と豪華な建物で構成されていて、行く度に格式がある施設と思っています。

明治記念館の正面を入った直ぐ右手に、「憲法記念館」の石碑があります。
周りに緑が植えられているので、建物に向かって歩いている殆んどの人は気づかずに通り過ぎています。
私も何回か明治記念館に行っている中で、ある時に視線が石碑の停まり、その存在を知りました。

明治14年(1881年) 10月に 赤坂仮御所の別殿として建てられ、明治21年(1888年) 5月 この場所で明治天皇御親臨のもと、帝国憲法・皇室典範の草案審議が、 前後十数回にわたり行われた場所です。
ここまでは、明治憲法が審議された場所と言うことで納得していました。

先日少し調べごとがあり、明治記念館の歴史を知る機会がありました。
明治憲法が公布された後に、明治天皇がその制定に功績のあった伊藤博文に、赤坂仮御所の別殿を下賜されました。
明治41年(1908年) 4月 、伊藤博文はそれを「恩賜館」と名付けて、現在の品川区荏原町に移築しました。

その後、大正7年(1918年) 4月 伊藤公邸より現在地に移築竣功して、 「恩賜館」を「憲法記念館」と改称 しました。

更に時代が進み、昭和22年(1947年) 9月 明治神宮社で、明治記念館結婚式場開設奉告祭を斎行し、その年の11月 「明治記念館」開館式を挙行し、現在の明治記念館としての営業が始まったとのことです。

私が上京し就職してから長い間住んでいたのが、東京都品川区でした。
その住居の少し先には、木々で覆われた大きな土地に伊藤博文公墓所がありました。
近くには伊藤小学校があり、伊藤と言う地区名その頃には一部残っていました。

今回調べてみて、上京した若い時代に歩いていた地区が旧伊藤邸「恩賜館」の跡であり、憲法記念館・明治記念館の前身のあった場所であることを知りました。
住んでいたのは半世紀近く前のことですので、その頃に分かっていれば、街の中でいろいろと名残りの跡が発見できたのではないか、とブラタモリ風に思いました。

広告

りょうちゃん について

"これまでのものを大切にしつつ、新しいものに挑戦"  、 空を飛ぶこと 海に潜ることが大好きです。
カテゴリー: 随想 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中